面会交流が難しい理由
面会交流はすることになったけど・・
おっくうで仕方ない。子どもは会いたがっていないように思う。裁判所で決められたけど、日頃の子育ての上に、面会のための準備や日程調整、帰ってきてからの子どものフォローもある。これ全部余分なことだと思う。元夫は、喜んでいるらしい。何度いってもおもちゃを買って持たせている。イラっとする。
絶対に子どもは会いたがっていない。子どもの福祉に反している、とすら思う。裁判所はわかっていない。と思っている方もいるかもしれません。
一方で、別居親は
子どもは自分と会って喜んでいる。日頃、ガミガミ言われているからだ。自分が港になってやらないといけないと思ったり、反対にいつも甘やかされているから、よい人間になるように、自分がきちんと接してやらないと子どものためにならないから、もっと頻繁な面会が必要だと思っているかも・・。
時には、やっぱりやり直した方がいいんじゃないか? 俺がこんなに譲歩してやっても、あいつがそれを許さないから、なんてことを一瞬思ったりすることもあるかもしれません。
面会交流は、こどもの権利?
面会交流は子どもの権利であると言われます。子どもの権利条約でも、それぞれの親を知る、言葉をかけてもらう、愛着をもらうなどの権利があると記載されています。
とはいえ、自分の元夫とはそんなことができる人ではない。あのときだって、この時だって・・。子どもが父を必要としていた時にいなかった。そればかりか、私のせいにしてばかりだった。なのに、なんで今会いたいなどといってくるのか? それを裁判所は認めるのか・・。
面会交流が難しいのは
離婚したら、夫と妻ではなくなっているのですが、それはわかっているのだけど、夫婦の時の関係を継続してしまうことが多いです。関係が変わるんだ、配偶者ではなく、子どもの父と母になるのだと、頭で理解はしていても、関係性って見えないものでもあるので、何もしないといつものやり方になってしまいます。
こんなことってありませんか?
先輩のAさんとは、フレンドリーな感じでいつも接してくれるからこちらも話しやすくて親しみのある言葉づかいとなり会話の内容も、仕事上のことはもちろんプライベートなことも少し話たりする。
先輩のBさんとは、仕事で話をしなければいけないことだけを話すようにしている。最初からそうしている。
この違いってなんでしょうか?
最初からそうだった、と感じていませんか?途中で何かがあって、この人こんなところもあるんだ、と双方の認識が変われば、お互いのやりとりが違ってくるかもしれません。でも何もなければ、たぶんこのままの感じで進んで行くことでしょう。
第1印象がすべて?
そうではないですね。
第1印象はもちろん大事ですが、それを元にした会話やしぐさ、態度などをすべて入れて、それに対応する話しの内容や態度を自分の中から適当だと思うものを出してきているのだと思います。
認識が変わると、関係が変わる
状況や出来事をどう認知するかということと、持っている自分の考え方や信念に照らし合わせて認知は出てきます。
例えば、「女性が食事を作るのがあたりまえだ」という考えを持っている女性が、同僚から「いつも夫が食事を作ってくれるんです」と聞いたら、え? どういうこと? となり、そんなのおかしい。夫に料理を作らせるなんて。夫は不満に思っているはず。と思うかもしれません。
そうすると、「あなたは何をしているの?」という質問になるかもしれませんし、「普段はあなたが作るのでしょう?」と言うかもしれません。女性が、他の家事をしている、自分より夫の方が料理が好きなので、料理はしないなどと答えると、「ふーん?」「それでうまくいくのかしら?」「まずは胃袋をつかめというけど・・」なんて言うかもしれません。
それを聞いた人が、家事は分担してすればよい。得意な人がすればよい。という考えの人であったなら「そうなんだ。」「いいね」で終わるか、どんな料理が得意かなどということを尋ねるかもしれません。
考え方の違いによって、その後の展開が変わる
離婚しても、相手に対する考え方(あの人はこうすべきだった,夫なら〇〇してくれていい)がそのままだと、テーマは変わっても、関係性は同じということが続いてしまいます。
夫ならのところが、父親なら子どもに対して〇〇であるべき、や子どもに対して寛容で親切で気配りもできる人になってほしい。
そうです、そう思いますよね。父としてきちんと子どもに接してほしいと望むのは自然なことです。
でも、ちょっと待って。あなたと一緒にいる時、寛容で親切、気配りもできる人でしたでしょうか?
離婚したから、急にそういう父になるのはちょっと難しいかもしれません。
せめて、そうあってほしい。最初は、高い望みがあったのに、期待していたのに、一緒に暮らす時間が長くなるうち、手放したものの数々。希望のハードルをどんどん下げて、下げきれなくなって、ダメだとなって離婚に至った・・。
だからこその、せめてという思いだったりしますよね。
結婚している時には、子どものことに全く関心もなかったのに、離婚するとなった途端、急に面会って? というお気持ちもありかもしれません。下がらないハードルのその下には、まだ期待が残っていたのか?
それとも、夫としてはダメだったのは承服してあげるから、父としてはきちんとやりなさいよ? 人としてきちんとしてほしいという方向に、目標を変化させた?
どちらにしても、そうなってしまうぐらい、傷ついた、しんどかった・・・
認めるのがつらいぐらいに・・
別の価値観が必要です
離婚は“新しい家族のカタチ”
あんな人とこれ以上1ミリもつながりを持ちたくない、と思っているかもしれません。繋がりを持つのはあなたではなく、子どもさんです。
あなたの子どもが元夫と父としての繋がりを持っていくということです。あなたは、子どもの支援をしていく人(母親)ということになります。
子どもと父がどのような関係を築くのかは、彼ら次第です。それが子どもにとって苦しいものかもしれないし、その場だけは楽しいというものかもしれません。どちらにしてもその状態は変化していきます。
子どもは成長していきます。父親が、面会の時だけ喜ばせてくれたとしても、それを間に受けている時は長くはないでしょう。父親そのものをわかっていくようになります。
表面上だけなのか、本来のその人なのかを理解していきます。その成長を支えているのは、共に生活をしているあなたです。あなたのありようや人との接し方を見て学んでいくのです。その意味で、あなたの父親への接し方も子どもは見て学んでいます。別れた夫ではあるけれど、子どもの父親にどのような態度をとっているのかを体感しています。
この文章で責められているように感じるかもしれません。
そんなことはわかっている。私ばかりが努力しないといけないの?成長しろって言われているような気がする。
いえいえそうではありません。
全体像を考えてみるというのも、自分の直面していることに距離を取ることのうちの一つになります。距離を取ることがなぜ大事なのか? 目の前のことばかりを見ていると、知らず知らずに視野が狭くなってしまうことが多くなります。考えがぐるぐる巻きになって、毎回同じ結論になる。こうなればいいってわかっているのだけど・・となってしまいます。
傷つきがそれをもたらしている、と言うと、またそれかいっ となるでしょうか?
傷ついている時は、自分を護るのが優先されます。そうしないと、壊れそうになるから。自分を護るやり方にはいろいろありますが、自分のせいだと思ってあきらめる(モラルハラスメントの環境にいた人は無意識にそう思って収めがちです。至らない私が悪いんだ。どうせ・・とか)相手の攻撃するところをそのまま受け取ってしまっていることも多いです。
自分の陥りがちなパターンを知ることや現状を一緒に見ていくことも大事だったりします。