モラハラ夫はどうしてトイレットペーパーにこだわるのか?
夫からのモラルハラスメントに困っている女性は多いと思います
最初は、あれ? 私の思い過ごし? というようなことがあり、きっと思い過ごしよねと思うことで日常を続けていると、また、あれ? と思うことがあったり、必要以上に怒られたり、無視されるようになったり、不機嫌が続いて、私は何かしたかな? と考えに考え、きっとこれだ、と思いついてそれを改善すると夫の態度が変化した。ということを何度も繰り返してきて、あなたの中にいろいろな約束事が増えてきている状態だったりしませんか?
不機嫌な人といるのは居心地が悪い、ですよね。
どうしたの? と聞いても、なんでもないというか、黙っている。
でもある時、急に話しかけてきたりして、「なんだ、私の思い過ごしか」なんて思ったり。
いつの間にか、夫の顔色を窺うようになり、夫の機嫌に自分の言動が左右されてしまうようになっていませんか?
エスカレートしていくと、夫の要求がどんどん細かくなっていって、トイレットペーパーを替えていないと言って怒る。夫から「なぜトイレットペーパーがきれているのだ。切れたら次の人のために入れておくのが常識だろ!」などと言われると、トイレットペーパーぐらいで? と最初は思っていたけど、だんだん自分がダメな人間のように思えてくる。
そのうち夫がトイレに行くときには、トイレットペーパーあったかな? と気にするようになる。
トイレットペーパーが切れたら替えておくのは妻の役割なのかな?
確かに、トイレに入ってペーパーがなかったら、困ります。でも、家の中にあれば、取りにいけばいいですし、戸棚にあるのならつければいいだけです。
ペーパーがあるほうがいいですが、気づかないこともあるでしょう。常識!とか、いっつもそうだ、だらしないなどと言われると、罪悪感を持ってしまう人や、反発から二度とそのようなことがないようにしようと思ってしまう人もいるでしょう。
『常識』といわれると、世間全体から外れているような感覚や、自分一人が知らないの?と恥ずかしいような感覚がするかもしれません。
もしかしたら、夫が替えるよりはるかに多く妻が替えているかもしれないのに、たまたま夫が何度か替えたら「いっつも」俺が替えている、となっているかもしれません。
『だらしない』とは、人格や人柄への攻撃です。
これらはハラサー(ハラスメントをする人)がよく使うやり方です。トイレットペーパーを替えることを話しているのに、「みんな」が出てくるのは、三角コミュニケーションです。そこにいない誰かをだしてきて、攻撃するやり方です。人格を否定するのは攻撃といえると思います。
トイレットペーパーをどう替えるかというルールを決めることを行うのも良いのですが、このような時に「え? 切れてた?」「不便だったね」とか「替えてくれたの、ありがとう」と気兼ねなく言えない状態だというのが一番の問題だと思います。
ペーパーがないと、「もうっ」という思いがするかもしれませんし、「困ったな」という思いがあるかもしれません。それを怒りや攻撃に転嫁するのではなく、「ペーパーがなくてびっくりした」「一瞬どうしようかと思ったよ」などと伝えられたらいいのかもしれません。
多くの場合、そういうやりとりがなくて、夫の権威が強化され、妻は従う項目が増えるということになりがちです。一方的に夫がハラサーで妻がされる側にしていますが、反対の場合もありますし、同性同士など親密な間柄ではいろいろな関係で起きています。また、職場などでもモラルハラスメントは起きています。
守るべき項目が増えれば増えるほど、守るのは難しくなり、結果「だらしない」「人間性の問題」「ダメな奴」という言葉を投げてきます。
夫のほうは、最初のやりとりで、妻は妻の仕事として替えることに同意したと考えている場合もあれば、強要しているのではなく、次の人のことを思ってする行為であり普通のことだと思っているかもしれません。
一方、妻は納得しているわけではないけれど、戦うよりもスムーズにいくことを選んでいるだけだったりします。本当はおかしいと思うけれど、ここでぎくしゃくして嫌な方向にいくよりは、黙っているほうがよいと思っていたり、これぐらいのことでごたごたするのは嫌だったり、夫の機嫌が悪くなった後が面倒だから、回避したいだけだったり。
脳は合目的的にできている
これぐらいは仕方ない、とやっているうちに、それがあたりまえになってきたりします。脳は抵抗するのをやめてしまいます。脳が環境への適応を優先していくのですが、そうすると、妻はどうして自分がこういう行動をしているのか、わからなくなったりします。我慢をしていくことになります。夫はやってもらってあたりまえとなります。
記憶、というのも双方で違っていることもしばしばあります。出来事は同じだけれど、とらえ方も違えば受け止め方も異なります。受け止める仕方がどこから来ているのか、人によって違います。いろいろな通りがあるし、その時の体調や心理状態によっても違ってくるでしょう。どれが正しいということはありませんが、しばしば、相手の受け取り方が間違いだと言いたくなることもあるかもしれません。
大きな問題が起きた時に、顕著になります。妻は言いたいことを全部は言わないようになっており、夫の問題解決には批判的な素地ができているので、夫が妻の期待を超えて解決ができないと、やっぱり、と思ってしまいます。夫は一人で問題に取り組んでいるように思え、結果がうまくいかないと寂しい思いをするかもしれません。双方にわだかまりが残る形となり、愛着の傷となることもあります。
Emotionally Focused Therapyのスー・ジョンソン先生は夫婦関係にも愛着の要素があると言っています。求めても叶えられなかった経験が愛着の傷となり、悪魔のダンスが始まると言われています。そうなると、自動的にいつものパターンになってしまいます。妻が問い詰めると夫は感情的にひきこもる。反対もあるでしょう。自分が正しいのだということを夫がいい始め、同じように妻も自分が正しいことを言って譲らないなど・・。
モラルハラスメントのある場合、もっと慎重に見ていく必要があります。もしかしたら経済的な封鎖を受けていたり、言葉でいうだけでなくて、何かにあたったり、物を壊したり、身体への攻撃や性行為を強要するなどがあるのなら、ドメスティック・バイオレンスと言えます。その場合は、危険性をアセスメントし、暴力の場を離れることを考えなければならないかもしれません。
ハラサーは、だんだんいうことがなくなって小さいことまで言うようになるのか、それとも物事は細部に宿るという考えなのか、とても多くのルールが存在することも多いのです。
されている方は、とても窮屈で自分らしさが失われ、別の誰かのように思えることさえあります。以前の自分とは変わってしまった。それをよしと思う夫もいますが、本人はとても息苦しいものであったりします。
どちらかの傷つきがあると修復する方向に行くのが難しくなり、どうやって相手を凹まそうかという思考になってしまうこともあります。
ズレが修復できないと、妻はやっぱりという思いを大きくし、信頼関係が損なわれていきます。